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2017年2月28日 (火)

春間近‐斎宮ぶらぶら記②

(明和町の地名「斎宮」は「さいぐう」ではなく「さいくう」と読みます)

塚山古墳から東へ進み、歴史の道を南下すると上園芝生広場に到着します。
平日の昼下がり。すれ違う人もほとんどおらずのどかな空気が漂っています。
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ぶらぶらと東に向かって歩くと、史跡公園「さいくう平安の杜」が見えてきます。

正殿(せいでん)。
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西脇殿
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東脇殿
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この3棟は遺跡の真上に復元されています。

残念ながら、正殿には入れませんが、西脇殿は建物内を見学できる
ようになっています。中でイベント等ができるようになっているので、
多少現代的な物が多くありますが、中ではボランティアの方が色々と
説明してくれて勉強になりました(西脇殿は内部公開をするため、
耐震強度の観点から柱には現代の知恵と技術が使われているそうです)。

斎宮の建物は瓦ではなく檜皮葺、または茅葺だったそうです。
というのも。瓦は仏教的象徴なので、日本独自の宗教の象徴たる
伊勢神宮に連なる斎宮としては、瓦や仏教的な物・単語はご法度、というわけです。
また、柱は腐るのを防ぐために通常礎石という物の上に立てられますが、
斎宮の建物には礎石が無いことが発掘からわかっています。

このさいくう平安の杜の南に斎宮の重要区画「内院」があったそうですが、
現在ここには線路が走っていて発掘は困難、残念・・・。

斎王制度が終ったのが1336年(鎌倉時代終焉 1333年)。
当時すでに荒廃が進んでいたようです。そこから1970年(昭和45年)の宅地開発で
斎宮が発掘されるまで、長く斎宮は土の中に。
1970年の大きな発見以前にも、明治時代以降、ぽつぽつと斎宮について
調べる方、斎宮を保存しようというグループができたようです。
1930年(昭和5年)に近鉄山田線が開通し、斎宮駅もその時設置された
ことからも、その当時、地域には確かな存在の証が多くはなくても、地域の人達は
斎宮を身近に感じていたのかと推測します。
斎王の存在を含め斎宮に関するストーリーは、2016年4月に日本遺産に指定
されました。

現在発掘によって明らかになっている斎宮の方形区画の全体像は、
上園芝広場にある「10分の1史跡全体模型」でみることができます。
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この全体模型(写真の右側、盛り土になっている所)の直ぐ後ろには
いつきのみや歴史体験館が!これまた雅な建物です。

手前の黒い土の所では、古代米である黒米・赤米の栽培が行われます。
平城京跡同様、遺跡保護の為その上には物を建てることは極力したくない
所(再発掘もしにくくなるし)。しかし広い土地を何もせずに放置するのも
美観を損ねてしまうので、こういう取組はいいですね。体験学習の一部にも
なっているそうです。

写真はありませんが、色々巡ってとても満足しました。
が、ここからが本番!
(*´Д`*)

2017年2月26日 (日)

春間近-斎宮うろつき記①

2017年ももうふた月が過ぎようとしていますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
早くも色々ブログに書こう!と思うようなことがたくさんあるのですが、
書けていないのでひとまず新しい事から書いて行こうと思います。

2月下旬、いつかは行こう行こうと思いながら、行けていなかった「斎宮」
(三重県明和町)に行ってきました。この日は少し暖かく、うろうろするには
もってこいの日でした。まずは近鉄斎宮駅の北西にある「斎宮歴史博物館」へ。
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道すがら所どころに見事な菜の花畑が。斎宮跡の公有地で、春は菜の花、
秋はコスモスといった草花や古代米の栽培を行っているそうです。
また、博物館近くでは紅白の梅が見ごろでした。
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博物館では、斎宮(場所)や斎王(人)に関する発掘品や再現品の展示と
映像展示があります。映像は1038年の良子(ながこ)内親王の群行(斎王の旅のこと)
をテーマにしたものと、発掘資料や文献を基に斎宮とはどういう所だったのかを説明した
物の2つがあります。どちらもなかなかに見ごたえがありました。上映時間が決まっているので、お時間に余裕がある場合はぜひともごらんください。

映像展示室には土器やいくつかの復元した物の展示が。
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檜扇と几帳

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小袿
大きさでの比較は難しいですがこちらには中陪(なかべ、黄色の部分)が
あります。

メインの展示室。
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武官束帯のお兄さん。夏の束帯ですね、足元は靴のほうがいいような気が。浅沓では
いざというときに走れないんじゃないかな?

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汗衫(かざみ)の女童(もうちょっと可愛いお顔でもイイんじゃないかな…。そしてこの
汗衫(?)、かなりざっくりした作りなのにちょっとびっくり。

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斎王と女房。

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別れのお櫛 案外小さい(幅6センチ程度だったとか)です。
斎王は都で天皇からこの櫛を送られた後、斎宮へ向け出発します。
最初の頓宮(とんぐう、斎王が群行で泊まる仮の宮)で櫛を外し、
その後は斎王個人の物になったとか。)

このほか出土品やそのレプリカも多く展示されていました。
斎宮は広大で、発掘は現在も続いています。
発掘作業現場を見学できるようだったので、この後ぶらぶらし現場を探したものの、
方向音痴なもので見つけられず。残念(;д;)

斎宮というと平安時代のイメージが強いですが、博物館周辺には奈良時代、
またはさらに古い時代の物を見ることができます。
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上 博物館の少し北にある塚山古墳群(5世紀末~6世紀前半)の3号墳(円墳)。
下 舞台の後ろに見える通りの下には奈良時代に作られた道の遺構が。

古代ロマン好きとしては、前方後円墳もいいですが円墳とか方墳もぐっときます。
いいですよね、古墳( ^ω^ )

斎宮うろつき記、続きます。

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